昨年10月31日に開催しました登美栄会50周年記念総会が盛大に終始した後、その後の会計処理などの残務整理を終え、会員の皆様には報告書を郵送させて頂きました。その後12月に牛村輝一君が、今年2月には野田浩平君と川崎柾史君がご逝去されてしまいました。心よりご冥福をお祈りし、ご報告をさせていただきます。

先日発生しました熊本大地震で心配されました人吉の那須君も甚大なる被害を受けることはなく、不幸中の幸いだったかと思っています。小出君より川崎君への追悼文を頂きましたので掲載いたします。今後、仲間の嬉しい、悲しい出来事や集いなどのある場合など、松田までご一報くだされば本欄に掲載させていただきます。親友のご逝去があった場合、特に親密に付き合っておられた仲間からの追悼文をお待ちしています。ご郵送くだされば本会報に掲載させていただきます。

(松田毅記)

川崎先生を偲んで

2月24日に父が肺癌で亡くなったと2月27日に突然お嬢さんから連絡が入りました。葬儀全般が終わったら小出に連絡する様にと言われていたそうです。川崎柾史君は大阪の名門、高津高校から入学し、私と数名(田中・油納・西村・山口)の阿倍野から通学している者と同じクラスになり、すぐに友人となりました。大学の帰りにはいつも旭町の珉珉の餃子で英気を養い、近くの喫茶店でコーヒーを飲み歓談するのが日課でした。彼は頭が良くハンサムでお互いに開業してから週末になるとミナミに出かけるのですが、どこへ行っても“もてもて”で羨ましく思うばかりでした。年数がたってミナミに出かける回数は減りましたが、電話は10日に1度位かけていたと思います。1年位前から電話の連絡がつかなくなり、体調が悪いのではと心配していましたが、彼の気持ちを察してこちらから強引に消息を知ろうとするのを遠慮していました。(それが良かったかはわかりませんが・・・) 春になると報告したいことがあるとの文面の年賀状を頂き、暖かくなるのを心待ちにしていましたが、この様な報告であったとは・・・驚きそして悲しさ淋しさに包まれています。阿倍野の連中も皆一様に君に会いたかったと残念
がっています。柾史君、君は最後まで僕達の脳裏に恰好良さを焼き付けたままあの世に旅立ちましたね。遠から
ず僕達阿倍野組も君と天国でコーヒーを飲んで歓談することになるでしょう。その日まで、柾史君待っていて下さい。

今は虚しさと悔しさで一杯です。

(小出敏博記)