福田滋君、小林三男君 旭日双光章授章

福田君は京都府歯科医師会員、小林君は滋賀歯科医師会員として活躍しているところですが、多年にわたり地域歯科医療・保健の発展に寄与された功績により福田君は昨年秋、小林君は本年春、旭日双光章授章の栄誉に浴されました。平成13年秋、西田武泰君、平成23年秋、饒波正太郎君、平成26年春、岡本学君、同年秋、大橋寛治君に次いでの国家表彰で、心からの敬意を表します。

第1回役員会開催

(平成28年4月16日 プラザ14)
日程1 会長挨拶

日程2 出席者確認
豊川輝久 日野哲雄 岡本学 上田雅俊
大迫勲 大野 榮 河見忠雄 山口邦夫
関根紀彦 関本恵一 佐本高明 浜田邦夫
小林三男 岡本吉一 西田健 中村伸也
鶴身敬三 計17名

日程3 報告
平成27年度の会員親族物故者、南暢彦君のご母堂、中野崇君のご母堂、長楽謙輔君(鹿児島県・3月12日逝去・大学44回長楽由美さん、奥様礼子様より同窓会事務局に連絡あり)。大橋寛治君の叙勲祝賀会などの諸報告が大野 君からあった後、物故者のご冥福を祈って黙祷を奉げた。平成27年度の会計概要並びに約248万円の保有が河見忠雄君から説明された。続いて大学本部同窓会の諸報告が本部副会長の中村伸也君からなされた後、学校法人の歯学部・歯学科関連について、歯科技工士、歯科衛生士学校の4年制化など、さらに歯科医師国家試験の成績やその内実について詳細且つ丁寧な報告が上田雅俊君からあった。

日程4 議事
平成28年度の総会を11月12日(土)午後3時から大学附属病院14階レストラン 『プラザ14』で開催することに決めた。併せて、昨年11月3日旭日双光章を受章した福田滋君を表敬し、総会時に祝賀会を同時開催することに決した。

日程5 協議
天章会の今後の運営について、会員の高齢化や社会的背景、平成30年(2018年)に卒業50周年を迎えることなどから、運営に関しての具体的な方策を求める発議がなされたが、同窓会会長の生駒等君が本部同窓会運営に全力投球している現在、天章会は全会一致で彼を支えなければならない、との発言もあり、最終的には11月の総会の場で協議できるように慎重に検討を続ける方向性で意見の一致をみた。以上で平成28年第1回役員会を終了した。

追記:役員会以後の事柄を記します。
4月26日に北川武彦君(京都府)が逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。天章会から供花、弔慰金五万円(天章会規定)をお送りしました。また、3月12日に長楽謙輔君(鹿児島県)が逝去されました折には、同窓会事務局を通じて連絡を受けたのが通夜当日で、急いで弔電、供花、お悔み文(ファックス・最速の手段と判断しました)を送り、後日に弔慰金五万円(天章会規定)をお送りしました。ここに謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。5月9日に田中逸朗君(愛媛県)のご令室様が逝去されました。お悔み申し上げ、ご冥福をお祈りします。
今後、適宜役員会を開き、11月12日(土)の総会、小林三男君の叙勲授章祝賀会、卒後50周年の件などについて検討する予定です。

(鶴身敬三 記)

長楽謙輔君を偲んで

平成28年3月14日午前8時頃、長楽夫人礼子さんより電話があり、主人が3月12日19時58分に亡くなり(死因は不慮の事故による脳挫傷)、今日通夜で明日15日に葬儀をおこなうとの事であった。余りにも急なことだったので詳しいことは聞かずに、三楽会(草野球チーム 牧野ダンディーズを母体とした大学16回生の集まり)の皆様に連絡するから葬儀について FAXをしてくださいとお願いし、三楽会の皆様に手分けして連絡していただいた。その結果、神戸の田村忠昭君、島根の原田紀孝君、姫路の故山本健一君の夫人かずこさん、そして、私と家内の5名で鹿児島県薩摩川内市の川内中央斎場で行われた葬儀に参列してきました。

葬儀式場に入ると、長楽君の写真(楽しそうな旅先での写真)が飾られており、BGMでデキシーランドジャズが流れていました。そういえば、彼が大学卒業後住んでいた守口の家に行った時、スイングジャーナルという雑誌が沢山あり、ジャズのレコードをかけ、本人は畳の上でドラムのブラシを使用して、あたかもバンドの一員になっているかの如く演奏し、悦に入っていたことを思い出しました。読経が始まり、弔辞、焼香と式が進む中、私の頭の中で、彼と出会ってからの記憶が目まぐるしく駆け巡っていました。その時の事を思い出しつつ、彼を偲んでみたいと思います。

大学3年の時、私も準硬式野球部に入部し、4年には長楽君が主将、私が主務という立場で野球部のお世話をさせていただきました。そして、合宿を長楽君の故郷、川内市で行いました。どこに泊まったのか覚えがないのに、川内在住の先輩から、やかんに入った芋焼酎の差し入れをしていただき、芋焼酎の初体験をし、なんと臭い酒だなと思った事を思い出します。長楽君いわく、焼酎は「さつま白波が一番うまいとの事。(50年前の事ですから)大学を卒業し、昭和44年には三楽会が京都の花背で開催され、その帰りに鞍馬山の峠で路肩がすべり、車が転落するという事故にあった。その車には、長楽君と私が乗車しており、車がフワーと宙に浮いて回転し、どこまで行ったら止まるのかと思っていると、杉の木にあたり崖下数メートルの所に二人は頭が下になった状態で止まってくれ命拾いをしたこともあった。車は大破。前後のウインドウガラスはこっぱみじん。不思議なことに二人とも無傷であった。あの時は三楽会のみんなに感謝したよね。城山観光ホテルで挙行された、長楽君夫妻の結婚式で司会という大役をさせていただいた事も思い出されます。その後、香港が中国に返還される前年(1996年)に君達夫婦と私達夫婦の4名で香港旅行に行き、楽しい時間を過ごした事も思い出しました。

このような事を思い出しつつ、葬儀に参列していたのですが、鹿児島県歯科医師会 会長 森原久樹先生、大阪歯科大学同窓会鹿児島支部 支部長内倉厚弘先生の弔辞を拝聴し、鹿児島県歯科医師会の副会長を9年間、同時に鹿児島県歯科学院専門学校長を9年間務められ、歯科衛生士、歯科技工士の養成に取り組まれていたこと知り、長楽君ならのよい教育をしただろうなと思いました。

長楽君への思いは尽きませんが、君との事は私も一生忘れることはないでしょう。いつも笑顔を絶やさず、にこやかに、ゆっくりと話されていた長楽君、音楽が好きだった長楽君、野球が大好きだった長楽君、お疲れ様でした。どうぞ、安らかにお眠り下さい。

(大川幸矩 記)