クラス会・OB会だより

大1〜大10

平成27年度 大2

大学2回卒業生諸君

我等、大学2回卒業生の幹事だった池田辰二君の急逝で、思い掛けなく急 、幹事を引き継いだ後も物故者が相次ぎ、暗澹たる思いでしたが、早や3年が経過しました。今年は生存者に変わりなく、安堵しています。私が幹事になってから、クラス会の会場と開催日と時間は、毎年10月10日の正午と決め、会場も大阪・天満橋の京阪シティモール8階の「美濃吉」。残存会費有効消化で会費は無料です。今回の出席者は、写真後列左から敬称略で、吉田欣也、西田真和、山本茂樹、吉岡済、川村幸雄、庄司幸雄、白數毅、前列左から、梅谷元一、清水謙、宮脇恭三、岡本泰三の諸君です。我等、大学2回生が誇るべき、国家試験受験全員合格100%の快挙樹立後にタイ記録がなく、大阪歯科大学校友会史に空前絶後の、燦然たる快記録として記載、後世末代に永く語り継がれるでしょう。それにしても当日、故・日下一知君<旧制第六 高等学校出身の秀才>がなかなか試験場に現れず、全員やきもきのさなかに、やっと悠然と登場し、皆をホッとさせるエピソードも忘れられない。後日談で前夜に飲酒して、二日酔いでの寝坊とか。当時、歯科医師が社会的に僅少で、試験制度が受験生に有利だったかもしれないが、そう簡単に歯科医師が増加するわけでもないから、時代相応の記録と思う。思えば我等、好漢・碩学のクラスメイトの多くを失う。残りたる者の充実の余生長寿と、健康維持管理を心から願う。
2015年10月26日

(白數毅 記)

平成28年度 大4 一新会

一新会卒後60周年記念同窓会 於 ミキコサロン 平成28年11月10日

一新会の皆様こんにちは。昨年の10月に森岡君よりクラス代表のバトンタッチを致しまして初めての同窓会を迎えました。今年は大学卒後60周年で記念同窓会と今迄の歴代代表者、故山脇君、小郷君、末廣君、森岡君の慰労会も兼ねて、平成28年11月10日大阪駅前第一ビル内ミキコサロンで近藤君のお世話で開催致しました。このミキコサロンは雰囲気がとてもよく、また料理も大変好評で皆様に満足して頂け
たのではないかと思っております。出席者は17名でみんな元気に和気藹々のうちに楽しい一時を過ごすことが出来ました。私達卒業当時は100名でしたが、現在は37名(連絡のとれる者)でそのうち同窓会に出席可能者は20名前後といったところです。年々出席者も減って参りますが少しでも長く現状維持で同窓
会を続けたいと思いますので、協力のほどよろしくお願い致します。

長寿の秘訣は、1.することがあること 2.行くところがあること 3.友人がいること

これからも皆様の友情が深められる同窓会にしたいと思います。なお、この度、田村宏君のご子息の田村功先生が大阪歯科大学の口腔解剖学主任教授に就任されました。誠におめでとうございます。

また、この一年間の物故者は、

磯遊 賢三 平成27年12月1日
渡辺祥 平成28年1月1日
濱口博 平成28年6月20日
小川清 平成28年8月11日
吉田弘 平成28年9月4日
堀一雄 平成28年10月20日

以上の6名です。

御冥福をお祈り致します。では皆様また会う日までご機嫌よう。


(増田 亨記)

平成27年度 大4 一新会

紅葉の候10月17日、14名の参加で和やかな同窓会が出来ました。懇親会では久しぶりに対面される方もおられ和気藹々、時間を忘れる程夫々の方が楽しんでおられました。同級生全員が83歳を過ぎれば身体の何処かに異状があっても不思議ではなく、特に歩行困難の方々が多くおられ欠席されました。私も年齢には勝てず故障が多くなって来ましたので、今期限りで退任させて頂きました。後任に総会審議で増田亨君が次期クラス代表に選ばれた事を報告します。今後、私に注いで頂いた以上に増田君にご協力をお願い致します。永らく私に注いで頂いたご協力有難うございます。書面をもってお礼致します。

(前一新会代表 森岡 慧記)

平成28年度 大5 大五会

一昨年来、大五会60周年記念行事と天神祭り、同時期を計画しておりましたが、今回大五会 第3回幹事会にて下見の結果、真夏の暑い時期と混雑の無理が生じ中止することに致しました。
来年の5月の気候の良い時期に行うことを第4回幹事会で立地条件の良い大阪梅田で行うことを決定致しました。過日の10月20日(木) ホテルグランヴィア大阪にて会場下見兼試食会をし、ホテル側と話合いを
すませ、当日までにこちらの要望を伝えることにしております。
今回での最終記念総会を、皆様の1人でも多くの参加を頂き、意義ある大五会の集いに致したく存じます。

  

大五会 卒業60周年記念全国総会
日時 平成29年5月25日(木)
場所 ホテルグランヴィア大阪
(クリスタルルルーム)
出席者 (同伴可)
16時30分~

詳細は再度1月頃ご案内申し上げます。
計画変更のお詫びを申し上げます。
出来るだけ大勢の参加お待ち申し上げます。
大五会60周年記念総会実行委員幹事一同


(新田賢記)

平成27年度 大5 大五会

大五会の皆様、その後お元気でしょうか。本部の夏号へ総会の件をPRしていただき、去る6月25日、他界の代表幹事坂口喜史夫君の意思により、300m日本一の超高層ビル「あべのハルカス」57階、大阪マリオット都ホテルレストランジーケーで全国総会を無事終えることができました。大阪の超高層ビルでの集まりを期待いたしましたが、少々集まりが少なく残念の感があった。私たち八十路、人生すべて“壺中天あり竟中人あり”の信念です。われわれ健康であれば、元気で天職を全うし、少しの人生を楽しく考えたい域です。

平成27年度 大五会全国総会

平成27年10月24日 午後5時
大阪マリオット都ホテル

議題

1.平成26年以降 物故会員
平成26年
松岡 伸義 大阪府 2月4日
新実康男 京都府 3月20日
西原 盈実 広島県 4月1日
巴暢三 和歌山県 6月27日
飯田 浩司 兵庫県 12月4日
平成27年
松浦 剛 大阪府 2月25日
越智 茂三大阪府 3月19日
坂口喜史夫 兵庫県 6月25日
過去最多の物故会員に対して黙祷

2.報告事項
大学関係 吉田 洋先生より 大学の実情を聞く
会計報告 櫻井康弘先生より 報告

3.クラス会代表選出
前坂口喜史夫君の補佐役を勤められ、個々に噂の大塚壹章先生を推挙万丈一致で決定。大五会代表幹事をお願いすることになった。

4.弔慰
過去最多の級友を黄道へ送ることになりました。級友に弔慰文をお願いしていたが、割愛させていただきお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。合掌

新代表幹事大塚壹章先生のコメントを頂戴していますので下記へ。

コメント
このたび大五会全国総会においてクラス会代表に指名され、高齢なるがゆえに一段と責任の重さを感じます。しかも自身の健康にも留意し、愛会の精神で尽力いたしますので、ご支援ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。クラス会代表幹事 大塚壹章大五会のたびに意思表示していただいた大塚クラス代表幹事に、ついて行こうではありませんか。

(新田 賢記)

平成27年度 大6 六歯会

昭和20年、国民学校高学年で1学期に「鬼畜米英、アメリカ人をブチ殺せ!」と教えられ、夏休みの8月15日を過ぎた2学期には「アメリカ進駐軍歓迎、マッカーサー様さま」という教育を受けた我々世代は、最も育ち盛り食べ盛りの時期に敗戦後の飢餓社会を生き抜き、進駐軍兵士からチョコレートをもらって喜び、物のない時代に、
なんでも「もったいない」 「まだ使える」という習癖が身について、古いシャツやズボンも捨てられずにいつまでも身に着けてしまう。そんなわけで後の世代の人たちからはケチとみられる悲しい世代の人間である。エアータービンも超音波スケーラーもなかった昭和33年に卒業し、その後の著しい歯学の進歩に引きずられながらの半世紀を歯科医として生き続けてきたが、八十路に入ったために、もうそろそろリヤイヤして後に続く者たちに道を譲る時代になってしまった。162名の卒業生のうちで、70名がすでに天に召されているが、いまだ元気な21名が相寄り平成27年10月22日に、土井喬君の行き届いたお世話で、大阪駅のホテルグランヴィアの19階にあ
る日本料理の「浮橋」で懇親会を持つことができた。

出欠返信の欠席者から近況一言も多数寄せられ、要介護、リハビリ中、自宅療養中などが多かったが、
一瀬健二君 午前中診療を続けています
押谷誠之助君 他の会合と重なり
龍田 吉弘君 週3日元気で午前中診療
斎藤 彰君 ゴルフ
山下 敦君 週4日の診療と講演で多忙
驚いたことに石川哲夫君 元気でマラソン大会に参加などもあり、まだまだ元気な者も多く、今回の足場のよい会場とコンパクトな宴会に、次もここでやろうよという声もあり、来年を期して散会した。

なお、当日は懇親会に先立って、土井喬君のお世話で好天に恵まれた超一流コースの茨木カントリークラブで数名が好プレーと楽しみ、また、奥野晃三君のお世話で数名が中之島の国立国際美術館で「クレオパトラとエジプトの王妃展」を鑑賞した。

(山岸信博 記)

平成27年度 大7 七夕会

七夕会会誌の廃刊に伴う原稿の大阪歯科大学同窓会誌への転載について

卒業後56年を数え会員の年齢も80歳を越え、総会への参加も遠方からの方は無理となり、会誌への原稿依頼も反応少なく僅かに集まったものも、なかなか発刊に至らず、月日が経ち、原稿の内容と掲載時期が合わないケースが多発、特に追悼文には遅くなり過ぎました。以上の結果、会誌の廃刊を決めざるを得ませんでした。しかしせっかく戴いた原稿を活かすため、大阪歯科大学同窓会誌に掲載することになりました。今回は山口県の蔵田克彦君、愛知県の磯村文男君の文を掲載させて戴きますので、以上の観点をご理解の上、読んで戴きたいと思います。

(宮井茂人記)

妹尾家と八咫鏡

蔵田克彦

八咫(ヤタ)鏡、といっても今の若い人には殆ど記憶にもなく、興味もないものであるかもしれないが、天皇の位のしるしとして代々受け継がれた三種の神器の1つである。他の二つは、八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)と天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ) で時代をさかのぼるとき、皇位継承には、この三種の神器は今の世では考えら
れないほど重要な意味のあるものでした。そして現代においてもまだいろいろ騒動を起こすネタになっていた。
高知の四万十川へ川下り遊覧とゴルフをかねて、平成13年の初秋、友人四人連れ(菊池、妹尾、高畑君)で旅行した帰りの車中でのことである。メンバーの一人、妹尾弘暉君が、土讃線の大歩危小歩危あたりだったでしょうか、峡谷と渓流の続<山深い奥地に、この車社会の時代にろくな道もなさそうなのにひなびた人家があるのをみて、「あれも屋島の戦いに敗れた平家の落人達の部落かもしれないね」といった。
私は「ふーん、宮崎県の椎葉村のようなものかねえ」とかいい加減に相槌を打っていたのだけれども・・・思いがけない事の発端はここからであった。「蔵田、下関に赤間神宮があるだろう」「うん、だけど行ったことはない」「じゃあ今度機会があったら寄ってみて・・・」 「あそこにはうちの屋敷内から出土した“八咫鏡”が収められているから」「その昔平家が壇ノ浦の合戦に敗れた際に密かに先祖の某が持ち帰り隠匿しておったのを赤間神官に奉還したものだから」といった会話があったのだけれども、半信半疑でその記憶も薄れかけた頃である。

たまたま平成13年12月1日、その日は下関市立美術館で、ガラス工芸の世界ではピカソにも比肩されるエミール・ガレのガラス展が開かれていて、それを観に行っての帰り赤間神宮が近くであることに気付き、妹尾君との約束を思いだしてそこでタクシーをストップすることになった。何時のことになるやらあまり本気で考えていなかった機会が、こんなに早く訪れようとは思っていなかったのでした。

そしてその時、次なるちょっとしたハプニングも待っていました。赤間神宮の二十数段の石段を登り、踊り場に出て、次の石段に向かいかけた時、地元テレビのカメラマンが小走りに寄って来て、インタビューさせてくださいといってあっというまもなく私の顔に向けカメラを回し始めた。
「つい20分前に、雅子様が女児を無事出産されました。母子ともにお元気です」。といって私の反応を待っている。このようなことに対応するのは大変苦手で困ってしまったが、助け舟の筈の脇にいた女房殿は要領よくさっさと離れて高見の見物に回ってしまった。「それはおめでとうございます。皆待ち望んでいましたし、皇太子様をはじめ、皇族の皆様方も大変お慶びのことでしよう」「これからはお健やかに成長されます様お祈りします」と口上を述べたのですが、まだカメラを回し続けるので困ってしまってその後はもう勘弁してもらいました。こんなハプニングも元官幣大社の赤間神宮だったからでしょう。赤ちゃんは“愛子・敬宮”と命名され、いまは可愛さたっぷりに成長しておられご同慶の至りです。インタビューは何とかパスして、赤間神宮のカラフルで威容を誇る大きな山門を潜り社務所の受け付けで宮司さんに、“八咫鏡”について尋ねると、確かにありますが私たちでも日常見ることは出来ませんので、拝観は出来ませんということでした。さらに写真でもないでしょうかとお聞きしますと、記念誌に掲載されているからといって、一冊いただけることになりました。その宮司さんも、“八咫鏡”が赤間神宮に奉還された時の事情がいろいろ大変であったことを話してくださいましたが、記念誌に詳細が書かれていますので要約して述べます。

「安徳天皇八百年にあたり記念特別号」:

安徳天皇御入水御八百年を迎え、八咫御鏡神社創建に因んでの御祭典にあわせて発刊された記念特別号のことです。そもそも事の始まりは、平家の侍大将であった“妹尾兼康”なる人が、壇ノ浦の合戦にてここで討死するよりは逃げ去って生きながらえたいと思ってやったことと書かれている。しかし合戦中にそのまま逃げては卑怯者とて平家同族のものから殺される恐れがあり、何かいい方法はないかと思案していた折、安徳天皇とともに入水寸前の三種の神器のうち、誰の身にも付けられていない“八咫鏡”をとっさに抱いて、源氏の山猿どもにこの宝鏡を渡してなるものかと絶叫しながら、敵味方の船を潜り抜けて陸地に上がり、壇ノ浦から備中国の妹尾の荘へ逃げ延びた。源氏方の厳しい目をも逃れて密かに“八咫鏡”を安徳天皇の御霊として家に祀っていた。密告者もなく無事に過ごせたのは、“兼康”という人の治水事業などの功績で農民達に恩人として慕われていたからだという。その後、子孫の手で家宝の“八咫鏡”を多和山の麓に埋めて御神体とし、その上に社殿を建て、安徳天皇社平の宮として天皇と平家一門の冥福を祈っていたが、何百年も経って近年はその痕跡ぐらいしか残っていなかった。岡山県英田郡作東町の郷土史研究家の春名義雄氏が地元妹尾家文書等を調査中に三種の神器の1つ“八咫鏡”の存在を知ることになり、発掘調査されることになった。何百年も土に埋もれていたものが幾多の苦難を超え昭和三十三年七月十三日についに日の目を見ることになりました。この“八咫鏡”は第十代崇神天皇から第八十一代安徳天皇まで一千二百二十六年間、歴代皇位継承の神器であったと言われているものです。伊勢神宮に祀られている御鏡とは違って、皇居に奉安されていたこの御鏡は、第六十二代村上天皇以後に三回の火災によりかなりの部分が焼欠しその形を失ったということが、古事記や日本書紀にも記してあるそうです。その後、部分焼欠した八咫鏡は唐櫃の中に納められて歴代皇位継承の神器の1つとして安徳天皇まで伝承されてきたものと記されております。

“八咫鏡”発掘後は、郷土史家の春名氏および妹尾家一族の赤間神宮への奉還派と、地元住民の美作神宮創建派との対立に発展して、春名氏側がほとほと困り果て抜き打ち的に赤間神宮に奉還してしまったという。しかし神宮創建派の住民側はすぐに追っ手を下関に向け、返還を迫り、ついには岡山、山口の両県知事を始め各種議員まで動かして、現在の姿になるまでには双方でかなりの争奪戦をやったようです。“八咫鏡”の写真を記念誌のコピーから又コピーしましたがあまり写りがよくありません。三度の火災に会い、その上何百年も土中に埋もれていて
は原形はとどめているはずもありませんが、考古学的にも学者の先生方は価値あるものだと認めているようです。その1つ、花鳥の文様、握りの作り方等々に渡来のものではなく和鏡の特色があるなど、銘すべき逸品であるとのことです(神道考古学者大庭磐雄氏より)。赤間神宮には、ラフカディオ・ハーンの怪談で紹介され有名になった「耳なし芳一」の舞台になった平家の武将達のお墓や芳一像が祀られている祠などもあって、いろいろ散策しているうち源平壇ノ浦の合戦の悲劇、幼少安徳天皇を無理やり入水させるなど、あくなき権力闘争の歴史の姿が脳裏を過ぎっていきます。何時までたってもこのような闘争は人間が滅びるまでは終わりを告げないのだろうかとふと思ってみたりする。平家は滅んだ。「おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ・・・」(平家物語)

それより以前、源義朝はじめ源氏一族のほとんどが平家に殺された。わずかに生き残った子孫が源氏を再興し平家を討伐することになる。壇ノ浦の戦いで討伐隊長の天才義経は平家にとどめをさす。しかしその義経にもわずか数年後には悲劇がおとずれ、その後は源氏も結局滅びてしまう。序でながら、NHKのある歴史探訪番組でのこと、壇ノ浦の合戦で源頼朝は義経に三種の神器の奪還も命じていたといわれる。しかし義経はこのことはならず合戦後すぐ勝利報告に京に帰った。その後、頼朝は再び、周防の水軍に命じて捜索をさせたが結局不首尾に終わったという。そのはず御鏡は妹尾兼安が岡山に持ち帰っていたのだった。

このたびは、妹尾兼康の末裔、弘暉君のお蔭で赤間神宮にお参りする機会を得、“八咫鏡”の千数百年に及ぶ数奇な運命について知ることになりました。山口県近郷にもまだまだ私が探訪していないところがたくさんあり、知らないことも本当に多いです。今後とも地元の探索もおろそかにしないようにしなければと思っております。

尺八

磯村 文男

小学五年生のころから、家にあった尺八を玩具のようにして遊んでいたので、大学に入ったら尺八を本格的に始めようと思っていた。ある夜更け、遠くかすかに尺八の音色が聞こえ、だんだんと近づき下宿の前を通り過ぎて
行った。その夜は、まんじりとも出来なかった。次の日、学校でそのことを話すと話の輪の中にいた三浦弘君本人だった。縁があって、三浦弘君(後の詠山)に、京都祇園富永町の尺八師匠、遠藤眠山師(竹琳軒大師範)を紹介してもらって、昭和29年2月に弟子入りをする。当時は、尺八に楽譜があることも、流派があることも知らなかったが、日本で二大流派として、都山流、琴古流があり、ほかに小さな流派があること、それぞれの流派には楽譜があり、流祖がおられることなどを知る。師匠が最初に言われたことは、本気で始めるのであれば、良い尺八を持たなくてはいけないと言われ、親に一万円出してもらい購入する。月に六回の稽古日には、牧野から京阪電車に乗り稽古に励んだ。その結果、初伝の免状から始まり、中伝、奥伝、皆伝を経て、三浦弘君と同時に準師範の試験を宗家の宅で受けた。試験の内容は、吹奏、楽理、書き取り(試験官の吹奏を楽譜に書き取る)と面接の試験に二人とも無事に合格することができた。都山流準師範相許候事の免許状をいただいたのが、昭和31年3月1日だった。そして、眠月 (昭和43年2月15日大師範となり宮山となる)という竹号をいただいた。その間に富本盛弘君( 山) も尺八を始め、同門の兄弟弟子となる。富本君は、卒後沖縄に帰り都山流尺八を沖縄各地に普及した功績で、都山流竹琳軒大師範となる。都山流には、本曲、古曲、新曲とある。本曲とは、尺八のみの独奏曲、合奏曲のことをいう。古曲は本来の古典曲で琴、三味線との合奏曲、新曲とは明治以後の新しい曲で、尺八、琴、三味線との合奏曲のことである。稽古に通っているときに、師匠宅の近くの生田流箏曲の師範を師匠に紹介してもらい、稽古の帰りに寄せていただいて、琴や三味線との合奏に、帰りの終電近くまで一生懸命、精を出し腕を磨いたものだった。三人が大学を卒業し、それぞれに故郷に帰ることとなり、退門することになったのを期に師匠が同門の兄弟弟子を集めて、京都は三条の十字屋楽器店の二階の会場でお別れ演奏会を開いて、我々三人を送り出してもらったことが鮮明に記憶に残っている。嬉しいことだった。

一宮に帰り、師匠の世話で同じ流派の年頃も同じの三人を紹介され、四名で「いずみの会」を結成して、お互いに切磋琢磨して、いろんな箏曲の演奏会に依頼をされて出演も多く、また「いずみの会」としての演奏会も数回開催した。我々の会もいよいよ軌道に乗ってきたころ、仲間の一人でプロになった、小生と同年者が急逝してしまった。そのため、会を解散することにする。彼の死が悲しくて暫く尺八から遠のいていたのだが、甥の結婚式に是非にと依頼され、断りきれずに承諾して「春の海」を吹奏する。以後は舞台での演奏会などはすべて断り、一人でほとんど毎日尺八の吹奏を楽しみ、また25年ほど前から本格的に、プロの先生について始めた写真撮影(一宮市美術展の依頼出品者に選出される)を終生の趣味としていこうと自己満足をし、楽しい日々を過ごしている今日この頃である。

平成28年度 大8 おやしらず会

大阪歯科大学を卒業してから56年が過ぎ、「おやしらず会」のメンバーは全員傘寿をクリアーいたしました。ただし、ここで云う全員とは、2016年6月現在、同窓会事務室にある台帳に記載されている120名を指します。この人数は大学第8回生の卒業者数219名の54.8%に当たります。つまり同級生のほぼ半数近くが天国に召され
たと云うことになります。

おやしらず会訃報

同窓会報の前号 (2016年冬の号vol.193) がお手許にある方は「クラス会だより」のページを開いて下さい。「おやしらず会」のページでは「報ゼロの号」という見出しで、大変喜んでいます。確かに2015年の後半は計報ゼロでした。いつまでもこれが続いて欲しいと願っていたのですが、まことに残念なことに年明け早々の2016年1月6日、末長(竹谷) 裕之君の計報が知らされました。次いで4月15日、あの元気者だった野阪嵩君が亡くなられました。最近は体調を崩しておられたとのことですが、多くの方々は、あの学生時代の堂々たる姿が思い浮かぶのではないでしょうか。また、翌4月16日に、 富貴男君がご逝去という記事が、大阪府歯科医師会雑誌7月号に掲載されました。最近は、ほとんど例外なく家族葬を内輪で済まされて、ずいぶん日にちが経ってから同窓会事務室に届け出られます。以前のように葬儀告別式でお悔やみを申し上げる機会もなく、弔電すら発信するタイミングを逸します。この誌面をお借りして、お三方のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌

おやしらず会総会・懇親会

平成28年度のおやしらず会総会・懇親会は平成28年(2016年) 5月28日、神戸三宮の老舗中華料理店「神仙閣 神戸店」で、午前11時受付開始、午後11時30分総会、正午から懇親会という日程で開催されました。出席者数は昨年度より1名減り、39名でした。数の上では昨年同様と云えるのですが、まことに残念なのが女性の出席者の数であります。ハルカス効果?だったのでしょうか、昨年は4名だったのに、今年は別 夫人お一人でした。
現在、大阪歯科大学の女子学生数は369名(43.8%) で、一学年平均61名ですから、これからは卒業後のクラス会では女性優位が当たり前になるのではないでしょうか。因みにこの3年間、卒業生の数は100人を切っております。さて、清原光次君の「開会の詞」でスタートした平成28年度の「おやしらず会」は、唯一の九州からの出席者大坪稔君の「乾杯の音頭」によって開宴の運びとなりました。熊本大地震の報道が連日伝えられていると、われわれは九州全土が大変なことになっているとの印象を持ちますが、地震の被害は局地性が強く、佐賀県は全く無事だったとのことでした。来賓としては大阪歯科大学兵庫県同窓会の浜田幸人副会長をお招きいたしました。口腔外科OBということで旧知の方も多く、また会報バックナンバーで「クラス会だより」に十分目を通しておられたようで、親しみを込めた丁寧な祝辞を戴きました。

今年の「おやしらず会」出席者はこの日を待ち詫びていたようで、受付時間にはもう大半の人が集っている状態でした。懇親会では各テーブルで話が弾み、当初予定されていた2時間を30分延長し、14時30分に久野博康君が「閉会の辞」を述べ、名残りが尽きぬままに宴もお開きとなりました。

「おやしらず会2016」に出席された39名の内30名は「おやしらず会2015」にも出席されています。この方々は本当にお元気で、学生時代の面影そのままです。しかし、一方では寝たきりの方、施設に入所されている方、連日通院なさっている方など日常的に不便を強いられている同級生がいらっしゃることも否めない事実です。
今年は100名の方に案内状を差し上げましたが、来年からは不要の申し出もありました。中には同窓会報の送付を辞退される方もおられるようです。歳を重ねるにつれ、寂しさが増すこともあ50周年記念祝賀会の出席者は54名で、今年の出席者の実に36名が出席しています。米寿への道標、60周年を皆さん元気で目指しましょう!

(古跡養之員 記)

平成27年度 大8 おやしらず会

計報ゼロの号

私、古跡がこの「クラス会だより」を担当することになったのは2010夏(182号) からであります。本号は193号なので既に11冊に寄稿したことになります。前任者の森谷君から毎号必ず投稿するようにと厳命されたのでありますが、引き継いだのが75歳であったため、前号(2015夏、192号)まで、計報をお知らせしない号はありませんでした。ところが本当にうれしいことに、本号は計報ゼロなのであります。「同窓会報冬の号」の原稿締め切りは11月30日なのですが、それを12月10日まで遅らせていただいても同窓会事務室には、大学8回生の計報連絡はありませんでした。したがって、本号を「おやしらず会・計報ゼロの号」とさせていただきます。現在、同窓会事務室の台帳では大学8回生の会員数は123名であります。一方で、物故者94名、不明者2名計96名が名簿から消えております。ただ、ここで「計報ゼロ」とばかり手放しで喜んではいけないと思います。それはこの123名が、全員健やかに過ごしておられるのではないということであります。ひとつの指標と呼べるかどうか分かりませんが、われわれのクラスの同窓会費納入者は103名で、納入率84%というのは優秀なのだそうです。多分お元気な方々でしょう。しかし、病床に臥しておられる方、日常生活に支障を来すほどの体調不良が続いておられる方も少なからずいらっしゃると思います。「個人情報秘匿」の時代です。すでに亡くなっておられても、ご家族が公表を避けていらっしゃるかも知れません。でも、傘寿のクラスが「報ゼロ」は素直にうれしいです。

おやしらず会

平成28年度の「おやしらず会」総会・懇親会は神戸市で開催と決定しております。その日程がこのたび「兵庫県おやしらず会」から通知がありました。平成28年5月28日(土)ということです。予定としては、午前11時30分総会、正午から懇親会で、会場は決定していませんが、某有名中国料理店に内定しているそうです。2016年4月頃にご案内が届くと思います。どうか奮ってご参加下さい。近年、「おやしらず会」への出席者数は減少の一途を辿りつつあるようです。まことに残念です。一人でも多くの方の出席を願って電話での勧誘も試みるのですが、ご家族から「本人が同窓会とは縁を切りたいと申しておりますので・・・」とご本人が電話口にも出られないケースが増えてきました。残念でなりません。傘寿といえば聞こえが良いのですが、後期高齢者であることも厳しい現実です。やむを得ない事情もおありでしょうが、「減ること」は寂しい限りです。どうか平成28年5月28日をお忘れなきようお願いいたします。初めてご出席の方も、何十年振りに出席された方も、必ず異口同音に「来てよかった」と申されますので・・・。

(古跡養之員 記)

平成28年度 大9 久栄会

大9久栄会総会・懇親会報告

本年で55回を迎えた久栄会総会・懇親会が池田英綱君のお世話で総数41名の出席のもと、平成28年6月11日(土)神戸ANAクラウンプラザホテル神戸において開催されました。総会は総務の篠田要児君の司会ではじまり、議
長に神谷幸男君を選出、物故者の御霊に黙祷を捧げご冥福をお祈りしたのち、会務報告等了承され議事に入り、平成27年度会計収支決算・会計監査も承認されました。

その他のところでは年に1回開催されている全国役員会の出席者への交通費支給が定額のまま永年据え置かれていることへの対応について建設的な意見が多数だされ、改善に向けての対応は役員会に一任するということとなり、議長の見事な議事さばきで総会を終了することができました。なお、次期第56回総会・懇親会はJR京都八条口新都ホテルにて開催される旨の報告が神谷幸男君よりあり、本年も一人でも多くの参加者があることを願う次第です。楽しみの懇親会は池田英綱君の司会進行のもと岩田益司君の開宴のあいさつ、熊谷秀雄君の乾杯の発声で幕を開け神戸らしい瀬戸内の魚などの料理とワインと相喉って学生時代の昔話に花が咲き、あっというまに港神戸の夜は過ぎてしまいました。

昨年の滋賀県大津での懇親会で、急 学歌斉唱のエールをしてくれた赤司範俊君が、今年は小道具も用意し、二年ぶりに顔を見せてくれた小川由基君と二人で愉快に学歌斉唱の最高の盛り上がりを作ってくれ、名残を惜しみつつ、来年京都での再会を合言葉にお開きとなった次第です。翌日の観光は28名でバスで出発、怪鳥「ハシビロコウ」など珍しい動物がいる「神戸どうぶつ王国」を見学の後「ルミナス神戸2」に乗船しフランス料理ランチを食しながらクルージングを楽しみました。ゆったり流れる時間が、普段話せないその人の世界観や歴史感、趣味の深部のところなど歓談できたことが何よりの喜びでした。心配された天候にも幸い恵まれ、トラブルや事故もなく無事二日間を楽しく共有できたことは、池田英綱君のお世話のお陰です。感謝とお礼を申し上げる次第です。

今年に入って田中雄馬君が旅立たれました。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(岸直樹記)

平成27年度 大9 久栄会

久栄会総会および懇親会報告

第54回総会・懇親会が平成27年5月16日に滋賀県大津市の琵琶湖ホテルにて、滋賀県諸兄のお世話で総勢55名参集のもと開催されました。総会は総務の篠田要児君の司会で始まり、議長に神谷幸男君を選出、物故者の御霊に黙祷を捧げご冥福をお祈りいたしました。議事に入り、役員改選では留任の声で決まり、会員表彰では平成26年秋に栄えある叙勲(瑞宝双光章)をうけられた佐藤文夫君(当日欠席)、故宮腰恒寛君に久栄会より表彰状と記念品を手交(後日)させていただきました。神谷君の見事な采配で無事議事を終了することができました。第55回総会は兵庫県当番で神戸で開催が決まり、日程については建設的な意見が色々だされ、後日改めて連絡をさせていただくことで了承され、総会を終わり懇親会へと移りました。滋賀県特産の珍味を楽しみながら歓談に花が咲き、瞬く間に湖畔の夜が過ぎ、学歌斉唱となりましたが、今回は名物男の小川由基君が欠席のため急 赤司範俊君が務めてくれ、再会を約し賑々しくお開きとなった次第です。

翌日の観光は、滋賀県諸兄(中西、安澤、古藤、堀君)の度重なる準備のおかげで比叡山延暦寺に参詣いたしました。延暦寺事務長の小林福一氏が延暦寺駐車場まで出迎えてくださり、特別対応で大講堂から阿弥陀堂、根本中堂、延暦寺会館へと説明案内していただきました。阿弥陀堂で久栄会物故者追悼の法要を、三人の僧侶の読経で厳かに執り行い冥福をお祈りさせていただき、身心の安らぎを抱きながら全員無事帰路についた次第です。重ねて延暦寺小林福一氏に感謝を申し上げます。なお、昨年度総会以降鬼籍に入られた方をご報告させていただきます。天川宏君、伊東敏昭君、谷幸治君、宮腰恒寬君、坂順一郎君、水井弘二君、山本尚君、糸山昇君、内田千秋君です。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(岸直樹記)

谷幸治君を偲んで

彼は卒業後すぐ岡大口腔外科に入局し、その翌年結婚。同時に玉野市で開業。38年に長男が誕生。続いて二人の息子さんに恵まれ、三人とも歯科医師に育て上げ、晩年は親子三人で充実した診療をしていました。とにかく彼は何をするにも手早く、近くに県内第一号の本格ゴルフコースが開場すると同時に入会。私が42年にその玉野GCに入会した頃には、既に彼はシングルプレイヤーでした。彼と特に親交が深くなったのはその頃でした。
48年大阪に泊り込みで補綴の研修会をしているから行かないかと誘われ、超多忙な時期でしたが一年間毎月ついて行きました。それがその後の診療の宝になり感謝しています。彼は向学心に燃え、その頃はまだ一部で疑問視されていたインプラントを手掛けていました。先見の明があったのでしょう。現在花形の学問に発展し、彼の生涯に行ったインプラントは数千本に上がるでしょう。実は私も20本施術してもらい、今でも何不自由なく食を満喫しています。彼は牧野に下宿していたので、必然と麻雀、囲碁、酒盛等で級友の溜り場となっていました。彼は多趣味でマリンスポーツ、漁船を所有しての魚釣、温室を設備しての洋蘭作りには生涯心血を注いでいました。また、カメラはプロ級で、昔は自分で現像から引き伸ばしまでやっていました。牧野時代の友人で結成したイレブン会でも面倒見が良く、奇しくも期を同じくして亡くなった水井君と共に、毎年の旅行の発案から実行まで、長い間世話をしてくれました。北君、大谷君、小川君に続きまた二人を亡くし、イレブン会も大崩壊です。

昨年5月に肺癌を発病、今年3月に余命1ヶ月と宣告されるまで一切公表しなかったのも彼らしい配慮でしょう。最後に自宅へ見舞いに行ったとき、病人とは思えない足取りで玄関まで出てきて、“もう何ともしようがないなぁ”と人生を達観し尽くしたような彼の言葉が印象的でした。一時間ほどつもる話をし、次に見舞う約束をして帰りましたが、それは叶いませんでした。彼はやりたいことは全てやり切った満足感を感じさせる立派な生き方でした。友人としても尊敬できる人でした。どうか安らかに眠ってください。さようならそしてありがとう。合掌

(細川浩成 記)

水井先生追悼記

水井先生が昭和27年5月19日、81歳の生涯を閉じられました。26年前前立腺を患い手術をされ、入院退院をされていましたが、薬石効無く無くなられました。先生とは入学したときより席を隣して友となり、60年同道させていただきました。開業され、歯科医師会、学校医、連合会会長、保護司など大いに活躍され、また我々同級生で作ったイレブン会会長として、労苦を惜しまず働いていただきました。イレブン会は家族同伴で、いつも一緒に楽しいお付き合いを、この55年の長きに渡りさせていただきました。子ども達が独立してからは夫婦でとなり、年に一度国内旅行、二年に一度の海外旅行と、ずっと続けて行ってくださいました。楽しい一つの家族のようでした。それも水井先生と、岡山のときを同じく亡くなられた谷先生お二人のおかげです。世界の国十何ヶ国、国内は数えられないほど、その他、ゴルフに、観光に、会食にと集まらせていただき、大変楽しかったです。思い出が走馬灯のように、今頭の中を駆け巡っています。亡くなる前年10月にも奥様と同伴され、みんなと一緒に山中温泉に一泊旅行に行ったのが最後の別れになりました。私はその前にもう一度寄せて話をさせていただきましたが、悲しい、淋しい、心残りです。大変お世話になりました。ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。合掌

(長尾勉記)

平成28年度 大10 ひとわ会

第54回ひとわ会総会 於 大津港 ビアンカ 平成28年5月25日

第54回ひとわ会総会は、京滋ひとわ会担当で滋賀県大津市にて開催されました。当日例年の如く早朝よりゴルフコンペが瀬田ゴルフクラブにて行われました。
総会は午後4時より受付され、出席者46名、大津港にてこれから乗船するチャータークルーズ船“ビアンカ”を背景に集合写真を撮り乗船した。船は定時に出航、夕方の琵琶湖の風景を眺めながらの総会開催となりました。総会内容はひとわ会誌“北から南から”に詳しく掲載されていますので省略致します。
さて、来年平成29年度は第55回ひとわ会記念総会にあたり、大阪が担当で開催される予定ですが、その案内の前にひと言申し上げます。来年度にはひとわ会の皆様もいよいよ八十路に到達致します。只今(平成28年10月20日現在) 会員数162名であります。その方々もなお現役で診療に勢を出している方、悠々自適な人生を過ごしている方、予期せぬ病魔で苦悩されている方、平々凡々に毎日を暮らしている方、人それぞれの人生を歩んでいるように思われます。そこでこの場を借りまして、現在来年度の計画で予定の案内を申し上げます。



平成29年10月18日(水)
場所 リーガロイヤルホテル
ダイヤモンドルーム
時間総会 午後5時開始(午後4時から受付)
会費・親睦会 (催し物) 検討中

確たる案内は平成29年5月頃に詳しい案内状を送付させて頂きますが、返信は必ず送って下さい。コメント欄にはひと言でもいいですから何か文言を書いて下さい。返信のハガキはその人の顔を思い浮かべながら読ませてもらっています。以上、いろいろ申し上げましたが、私個人の勝手なお願いかと思われますが、来年度の予定と共に報告させて頂きます。


(福原幹二 記)

平成28年度 大11 士会

士会の総会及び懇親会の報告

3年ぶりに、平成28年4月23日(土) 午後12時30分にリーガロイヤルホテル2階山楽の間で大士会(大阪府士会)のお世話で開催されました。参加者は36名です。総会ではまず、病気をおして出席された大士会会長島田勝弘君(平成28年7月26日ご逝去)の挨拶で始まり、議長に森弘温君を選出、最初に前回以後の物故者13名(下記記載)を議長が読み上げ弔意黙祷しました。次に士会会長森本正孝が挨拶と平成27年度秋期叙勲者、旭日双光章伊藤義宏君(山形県南陽市)、瑞宝双光章岡崎正君(滋賀県草津市)、宮井享君(徳島県徳島市)の披露とお祝金送付の件を報告。今回熊本地震による士会同期の福岡市の安藤昌好君、羽生哲也君、丸山胖君、大分県中津市の松田正一君、佐世保市の犬塚昌穂君、延岡市の高濱義秀君、鹿児島県南さつま市の黒木浩隆君、鹿屋市の中原康吉君いずれの方も被害はないとのこと、一部の方は体調を崩され療養をしておられるとのことでした。会計報告を、平成25年京士会開催について会長の三木毅君、士会については森本正孝よりあり、いずれも了承されました。

次に、次期開催については当番県の藤田忠司兵士会会長より、なにぷんにも皆さんが高齢となりこの会を続けてゆくべきか、また、時期及び場所はどうするかと提案があり、岡邦恭君よりできる限り続けてほしい、また時期については大部分が二年後に数え年で80才になるのでその折に、詳細についてはお任せするとあり、了承された。藤田会長より、場所等は世話が大変ですので業者に一部任せて開催しますので多数の参加をお願いすると返答あり。

最後に、平成26年春期に瑞宝双光章を綬章された、堀口外茂雄君より謝辞があり、閉会の辞を幹事の逸見智康君がし終了する。続いて、逸見幹事の司会により懇親会が始まり、まず来賓に来られた大阪歯科大学理事長・学長川添堯彬先生、大阪歯科大学同窓会会長生駒等先生の紹介があり、各々の先生より大学の現状及び同窓会の状態と将来の展望の祝辞をいただきました。参加者の中で最も遠方より来られた久保慶治君の乾杯の音頭で宴会に入りそれぞれ和気遇い合いの中、話も盛り上がりそれぞれのテーブルで歓談の輸がひろがり午後二時半過ぎに終了しました。今回お世話頂いた大士会のみなさん、特に幹事の逸見智康君には大変お世話になり感謝申しあげます。

平成25年総会、懇親会以後の物故者名(敬称略)

奥原康久(兵庫県)、 貴久男(和歌山県)、若林蔚(岡山県)、藤田卓也(大阪府)、寺田好輝(千葉県)、清水廣幸(大阪府)、古川明一(大阪府)、武市甫(京都府)、増田勝彦(香川県)、松尾静夫(愛知県)、本山栄荘(広島県)、酒井(旧姓溝川)幸子(京都府)、清水強(兵庫県)、森本省二郎(兵庫県)

高松平人君より本山栄荘君に追悼文をよせていただきました。

本山栄荘君へ

平成28年1月13日、栄荘君は旅立ちました。あなたと初めて会ったのは昭和32年春でしたね。早稲田大学を卒業後しばらく社会人としてサラリーマン時代を過ごされました。これは和歌山の宮本君(ジミー)、中野の尚ちゃんに聞きました。お父様が「いつまで道楽をしているのだ」とお叱りになったのか、大阪歯科大学の同級生として昭和38年卒業しました。学生時代からおっとりとした大人風で通称「モーさん」でとおってましたね。牧野の住人として有名人だったそうです。

昭和39年4月に広島の本山歯科医院を継承され、早々と臨床医として地域で活躍されました。平成13年4月1日に本山歯科を御子息にバトンタッチされ勤務医となられましたが、その間、大歯大同窓会の支部長を務められ、よく皆さんのお世話をされていました。一方歯科医師会では当時の松島会長を支え広島県歯会員のお世話を本当に
よくされたように聞きました。平成9年4月1日に広島県歯会長に就任され、平成19年3月末日まで県歯会員を一つにまとめられ、隅々までよく行き届いた会員指導をされていました。その間、日本歯科医師会の理事に就任され人望厚かったですよね。

病に倒れられ病室で顔を見あわしてビックリされたようだったのがつい先日のような気がします。大阪の玉川先生が言ってましたよ。「牧野の下宿で一緒にマージャンしてた友人が皆さんいなくなった。これでマージャンができなくなった、淋しいな」あなたは我々同年代より7歳年長だから、よく頑張りましたよ。あちらで先に失礼と逝った人達によろしく言っといてください。広島の夜の街でごちそうになった時など、夜が更けても「帰ろうや」と言わないスタミナの塊のようでしたが、そちらで、ゆっくりと休んでください。合掌

(森本正孝 記)

平成27年度 大10 ひとわ会

第53回 ひとわ会総会

今回は九州での総会を西原義昭、新開清司両君のお世話で佐賀県嬉野温泉で開催された。先ず懇親会より先に、総会を同場所にて午後5時30分より開会。同時に昨年度総会以降に亡くなられた方々への黙祷ののち代表のあいさつ、報告事項(各部)の報告があり、協議事項に入る。

協議での決定事項

1 来年度開催地の件について
第54回は京都、滋賀での開催(昨年決定)
京滋代表として高山省吾君より発表。
・時期 5月下旬に行う
・場所琵琶湖上の貸切遊覧船内での総会及び懇親会 (景色を観ながら)
・泊り琵琶湖ホテルを予定(希望者)
・ゴルフ 瀬田ゴルフクラブ 北コース
・会費例年通り(程度)
・出席者 50人以上が望ましい

2 再来年55回総会について
5年毎の記念総会にあたるため大阪が担当、皆さんの意見を色々聞いたことを参考に企画内容は役員会で決定する。

3 第56回以後の開催について
毎年同時期、同場所で行うことが好ましいとの意見が大多数であることから尚一考の余地ありと思う。
以上

追記 詳しくは“北から南から”(2月下旬~3月上旬まで発行予定) で案内いたします。

(福原幹二記)

大10 ひとわ会
平成27年10月21日~22日

ひとわ会の皆様、未だお元気でしょうか? 第53回ひとわ会総会は「杖を突き、点滴をうちながら」の合言葉のもと、九州は佐賀県嬉野に集いました。我がひとわ会は、昭和37年卒業以来、一度だって中断することなく、北は札幌から、南は鹿児島まで日本中を経巡り、「ゆうさん」こと、梅谷雄ークラス代表を中心に10回生の絆を育んできました。昨年の名古屋に引き続き、今年は福岡での開催を要請され、これを快諾。此の地での開催は、これで二度目で、第一回は新幹線が博多に乗り入れた昭和50年で、あの頃はみな若く、仕事に、粉ズ栗に励んでおりました。あれから40年。露天風呂、みんなで入れば“とどの群れ”とアシ科の仲間にされてしまいました。
当初は、博多の地での開催を模索しましたが、此の地は、祭りはあれど、これといって観光するところに乏しく、それに湯質上等の温泉がなく、どうせ入るなら日本三大美肌の湯と われている佐賀の嬉野温泉で、肌を磨き、心身ともにリフレッシュして頂くことに致しました。今回は、ご夫妻で出席される方が多く (14組)、むくつけき男共の中で奥様方の輝ける笑顔に接し、楽しいひと時を過ごさせていただきました。嬉野の綺麗どころに加え、新開清司君の尺八を中心とした、鼓、三味線の和楽会の皆様の合同演奏で、賑々しくて楽しい品格ある懇親会となりました。加納晴彦君のユーモア溢れる乾杯ならぬ万歳三唱で中締め、後は夜半まで、歳を忘れての二次
会。翌日も快晴で、佐世保湾内をクルージング。アメリカおよび海上自衛隊の艦船を波間より見上げ、上陸後、海上自衛隊佐世保史料館にて明治~昭和の第一級の史料を見学し、佐世保湾および九十九島を見下ろす山上にて腹ごしらえ。午後は、百渓正明君の計らいで、有田の県立九州陶磁文化会館で特別展を全員フリーパスで、しかも学芸員の付きっ切りの説明で、館内の展示品を鑑賞させて頂いた。百渓君に感謝! 17時30分、博多にて今生のお別れ。来年は、琵琶湖船上にての集いを企画されておられる由、大変楽しみである。京滋幹事さんよろ
しく!その時までひとわ会の皆々様歩けるようにしておいて下さい。

ひとわ会 冥土の土産コンペ 始末記
総会前日集合、近くの居酒屋にて技術の研修会を図るも、はや明日の決勝に備えて、けなし合い等の舌戦。男共は、加納晴彦君、大杉裕俊君、鐘築英志君、三女子プロの貫禄に圧倒されて飲めども一向に酔わず。21日快晴。白マークから後期高齢者仕様のゴールドマークに変更、NPはセカンドNPとし、腕力賞は高山省吾君、大杉裕俊君、加納晴彦君等の怪物に備え、ドラニア賞を追加。
9時スタート。聞きしに勝る高山、大杉の飛び、ショット技術。二人を除名したい。
戦果(ダブルペリア)
優勝 大杉裕俊
準優勝 西原義昭
三位 福原幹二
ベストグロス 高山省吾

(西原義昭 記)

クラス会・OB会だより

クラス会だより

OB会だより