令和6年12月1日(日)12時30分より京都四条大橋たもとの「東華菜館」で随分久しぶりの「京滋寿歯会」が開かれました。「東華菜館」は関西地方なら毎日のテレビの天気予報で必ず映る四条大橋そばのレトロな建物です。なんでもエレベーターが日本最古と言うことですが、私達が若い頃百貨店で乗っていたエレベーターガール付きの手動のエレベーターとよく似た形式のもので懐かしい気分にさせてくれます。
「京滋寿歯会」とは言うものの、残念な事に滋賀県に在住していた方達は全員逝かれましたので、現在は京都府関係者だけの集まりになってしまいました。10月に浅井君より会を開かないかと云う電話があり急遽出席可能最低人数を確認して会場の確保をして、日時はボケていても覚えやすい日時を選びました。現在京都には14人の会員がいます。コロナ以後は欠けることなく来ていますが五体満足な人はほぼいません。
当日は10人が集まりました。佐々木貞君が一番元気です。生涯携わってきた予防に関する事を熱くしゃべる大西洋二君が相手していましたが私は少し引き気味でした。その大西洋二君は大西充紘君の死を大変残念がっていましたが本人は持病をかかえながらも見かけはとても元気です。終身、学年の「寿歯会」の世話をやり続けてくれるでしょう。橋本君は絵を描き続けていて当日も美術館に行った帰りだったようです。美術部の同窓美術展への出展作品は同窓会報の写真で度々見受けられます。
浅井君と榎川君は二人でゴルフに行くらしく二人とも飛距離の衰えの話をしていました。伊東君は京都府であるのに時間的には東京より遠い京丹後より3時間をかけて参加してくれました。夏に脊椎管狭窄症の手術をしたとかでそのCT写真を持ってきてくれましたが体内に大量の金属が入っていました。そのくせ元気で明るくにぎやかに毎日診療に励んでいるようで一番沢山かせいでいます。樹君もそれなりに元気です。行き帰りに奥様が同行されて仲の良い様なところを見せてくれました。残りの岩田君、下村君と私の元Aクラスの3人は時々元Aクラスの数人と会っていたりして今回も一番に相談したメンバーで元気にしております。
不参加だった福田君は参加予定だったのですが直前より体調不良で前日に欠席の電話が有りましたがそれなりに元気です。小国夫妻は陶人共それなりに元気そうですが距離的に遠い事もあり今回は不参加ということでした。岩田夫人も元気にされているとの事です。“それなりに”という言葉を使用しておりますがまさに全員それなりに元気なのです。
口だけは常に元気で達者です。同級生で同業者というのは本当に気を使わないで良いものだということを新たに実感しました。63年間も仲良く出来たことに心より感謝いたしております。1960年に入学以来歯科の発展と大学の発展を見て来た私達14回生もいよいよ人生の終盤を迎えました。同級生の残りの日々の安寧と今後の大阪歯科大学の益々の発展を願いながら今回の報告といたします。