二斗会報告
今年の二斗会は大阪歯科大学歯学部第19回全国同窓会会員大会に合わせて、歴史ある京都蹴上のウェスティン都ホテル京都で行いました。出席者は本部同窓会恩田信雄会長、同窓生の4人の奥様を入れて43名です。このため全国同窓会から褒められ、特別に座席を作っていただきました。全国の部ではラベルのボレロのように単調な祇園囃子、オープニングでは映像のドローンが会場に現れて度肝を抜かしました。さすが京都の同窓会でございます。
青森から平内厚子さん、熊本から坂口さん、高知から前田さん、楠井さん等が駆けつけてくれました。
総会では萩原正明、松井順一、大住省、脇修二、伊藤豊、長久巧一さんに哀悼の誠を捧げました。
今回でも娘さんからは亡き父親への愛を感じました。皆さんお父さんが大好きなようです。
規約の改定では最終年会費を納入した会員には弔慰金1万円を送ること、叙勲時などには2万円を贈ることを決めました。ということで、早速令和7年秋の瑞宝双光章叙勲者小部隆充さんに叙勲祝いを贈りました。来年は奥田さんが伊勢志摩方面を計画していただけるようです。来年も桜を愛でて再会しましょう。
今回も金上さん北村さん中島さん田中さん関根さん奥田さん前田さん橘高光さんに助けていただきました。次年度の会長は幹事留任を条件に橘高又八郎が続けます。
二斗会LINEグループについてまだ参加されていない先生は是非ご検討ください。
スマホの電話番号、LINEのIDを橘高又八郎までメールでお知らせ下さい
(橘高又八郎 記)
(総会・懇親会 令和8年4月25日 於:ウェスティン都ホテル京都)
伊藤 豊君を偲ぶ

(故 伊藤 豊君)
色が黒くて小ちゃくて、細い目の君の姿が浮かんできます。先輩の岡下さんから「目をあけんかい!」と叱責されていました。趣味はお爺んのように桃井さん吉川さんと囲碁。私とは将棋部に属し活躍されました。前半は私の方が上手でしたが、終盤の正確さ・強さは光っていました。麻雀では手を作っては直ぐ鳴く棋風でした。
1年生の時はワンダーフォーゲル部で、法事があるからと何時も錬成に参加しないのは、サボっていると思っていましたが、当時の私には法事の意味と大切さが分からず誤解をしていました。すいませんでした。口癖は「ションナイワ」でした。
酒癖が悪く、タバコもヘビースモーカー。おかげで肺気胸になり西宮の病院に入院したこともありましたね。大東市で開業され、結婚もされましたが何故か住まいは西宮に戻ってこられました。不健康そのものの伊藤君ですが家庭内では二男一女を授かり、歯科医師の後継者も作られ、真面目で誠実な良きパパなんて意外な感じがします。ご冥福をお祈りいたします。合掌
(橘高又八郎 記)
娘から見た父親像
私にとって父は信頼、尊敬できる人でした。兄、私、弟の三兄弟に対しいつも変わらず、分け隔てなく一人ひとりに対し丁寧に接してくれました。私たち兄弟も父に対しては皆同様に感謝を口にしています。家庭での父の性格は穏やかで、感情的になることはほとんどありませんでした。何か問題が起きても声を荒げることなく、いつも冷静に考え、合理的に判断する人でした。また、とても几帳面で、何事にもきちんと向き合う人でもありました。その姿勢を身近で見て「こういう大人になりたい」と思うこともありました。
父の好きなことは、お酒、たばこ、釣り、将棋、旅行などです。休日は趣味を楽しみ自分の時間も大切にしていた印象です。幼いころは釣りや旅行によく連れて行ってくれました。お酒は大好きで、晩年はよく一緒に飲みに行きました。たくさん話ができたことが思い出されます。どちらかというと父は自分のことを多く語る人ではなかったので聞き役でしたが、アドバイスは的確で安心して相談できる存在でした。仕事面では私が引き継いだ後も患者様や父と交流をもつ先生方から父の人柄にお褒めの言葉をいただく機会も多く、尊敬しています。
引退後は仕事に関してはほとんど関与せず趣味を楽しんでいました。農作業も楽しんでおり、収穫した野菜をたくさん送ってくれました。楽しそうに余生を楽しんでいる姿が最後の記憶ですので娘としても良かったなぁと。正直まだ亡くなったことに実感がなく、写真を見るたびもう話すことができないと現実に引き戻され寂しくなります。これからの私の人生においても心の支えとなるかけがえのない存在となり生き続けることと思います。
ありがとうございました。合掌
(長女 山田寛子 記)
長久巧一君を偲んで
2月16日に長久巧一君の逝去の連絡をいただきました。
私と彼とはサッカー部で長いお付き合いでした。彼は背も高く、ちょっとワイルドなイケメンで、とにかく真面目でした。サッカーでも、いつも真剣にボールを追いかけ、蹴っていました。感情をむき出しにせず冷静で、本当に“いい奴”でした。
彼とは、卒業後はまったく交流がありませんので、卒後の姿は存じません。かなり昔に一度旅行で富山方面を訪ねたことがありました。その際、「彼に会いたいな!」との気持ちが一瞬頭をかすめましたが、旅行のスケジュールの関係で諦めざるを得ませんでした。
最初から予定にいれればよかったと今、後悔しています。 一度会いたかった。
心から、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌
(連 利隆 記)

(故 長久巧一君)
脇 修二君を偲んで
脇君とは同じBクラスで席次も近かったことから学生時代はよく遊び回っていました。それを見た同級生から天津君も含めて良い意味で?「サンバカトリオ」と言われて仲良く過ごしていました。
昭和47年卒業に前後して新設2年目の岐阜歯科大学(朝日大学歯学部)保存学教室に入局、診療に頑張ってきました。その間私の結婚式にも出席していただきました。
脇君はまた、私にいろいろなことを教えてくれました。特に車のメンテナンスについては詳しくよく教えてくれました。今改めて言わしていただきます。脇君有り難う。
ご家族の皆様の悲しみが一日でも早く癒えることを願っております。
(渡辺 誠 記)

(故 脇 修二君)
