嘉藤君を偲んで
嘉藤君の訃報を聞き、「え~ ?まさか!」と耳を疑った!というのも、本年の1月12日、私自身も当日朝、トイレに行けど尿が出ず、緊急入院しており、彼も昨年暮れから入院され、メールにて「お互い早く退院して、また元気に会おう!」と約束していたからです。昨年、初期レベルでの肝臓癌にて手術され、術後経過も良好と本人よりの連絡を受けてもいました。しかし、ご親族からの連絡で、血栓が生じて1月16日に他界されたとのこと。今でも信じられません!
昭和43年、入学以来、ソフトテニス部の仲間として、また卒後大学において、彼は小児歯科学を専攻、私も口腔衛生学を専攻したこと、さらに、当時それぞれの講座主任教授であられた稗田豊治教授と小西浩二教授が同級であられたこともあり、歯科学会関係でも大変にお世話になりました。
ソフトテニス部においては、彼は大学から始められ、毎年の春、夏の合宿に参加し、毎日の練習にも休まず、かなりハードな練習にも愚痴ひとついわず先輩に指導を受けるガッツな姿が今でも瞼に残っています。そのおかげで、入学当時はやや小太りでしたが、テニスの練習にてかなりスリムになったことは先輩、後輩からはかなり注目されておりました。その甲斐あって、歯学体や歯科大学の交流戦においては団体戦の一角を占める実力を持つプレイヤーになり、我が学年だけで団体戦のチームができるほどにもなりました。倉橋君や私のよきライバルでもありました。
大学院時代には「テトラサイクリンによる歯の形成不全に関する研究」として論文も発表され、医局員時代でも多大な成果をあげており、私も励ましてもらうこともしばしばでした。その結果、大東道治教授時代には助教授(現准教授)に就任され、後輩の指導、臨床、研究にと多大な成果をあげられていました。また、大学以外での研究グループにも積極的に参加され、多くの指導をしていただくこともありました。
大学卒業後は、ソフトテニス部の現役を支える後援会の役員として、当時の後援会会長であられた故覚道幸兵衛先生の参謀として、私と共に「人呼んで、水戸の黄門様(覚道先生の別名)の助さん、格さん」とも呼ばれておりました。大学定年退職後は地域の奈良県歯科医師会障害者歯科保健委員会担当の理事、奈良県心身障害者歯科衛生診療所指導医をされて、地域への大いなる貢献をされていました。
プライベートでは、私が結婚した当初、ある飲み会で珍しくかなり彼が酔い、奈良の自宅に帰宅できず、私の嫁を実家に帰らせて、一泊していただいたこと、また、入学間もないころに私の不注意で、同期の学生とのトラブルで仲裁してもらったことも懐かしい思い出でもあります。さらに、彼の結婚式で、当時の彼の親戚が私の嫁の親戚と重なり、彼とは親戚関係となることも初めてわかりました。趣味は多方面で、鉄道マニアとして日本全国を駆け巡り、また最近では日本の城に興味があり、種々の写真を見せてもくれました。
先般開催致しましたソフトテニス部の創部100周年におきましては、創部の歴史をまとめていただき、川添学長・理事長ご出席の中、往年の力を発揮してスライドにて素晴らしい発表をしていただきました。
訃報の連絡を受けた後、奥様と電話にて対話させていただいたところ、「本当に安らかに、スーッと息を引き取りました」とのことでした。あまりにもあっけない感じがします。
長い間本当にご苦労様でした。嘉藤君どうか安らかにお眠りください。本当にお疲れ様でした。合掌
(永目誠吾 記)

(故 嘉藤幹夫君)

