
彼はわれわれの「十二支会」初代会長で、卒業後各地で活躍していた大歯12回卒業生のまとめ役として活動されました。
彼との出会いは、牧野の予科時代に遡ります。いろいろな性格の同級生がある中で、彼は真面目で几帳面を絵にかいたような人でした。授業では、しっかりと講義を聞いて正確にノートを取っていたのを知っているわたくし達は、各科の試験が近くなると、彼にノートを貸してくれるように頼みました。すると、彼は気安くノートを貸してくれました。わたくし達は手分けしてそのノートを(当時はコピー機がなかった!)カーボン紙を使って複写して希望者に配り、急場?を凌いだものです。
卒業後彼は歯科臨床の場、地区歯科医師会、兵庫歯科衛生士専門学校などで活躍されました。
彼は、阪神淡路大震災で被災して、その復興に苦労されたにもかかわらず、それを表に出すことなく着実に回復を果たされました。そればかりではなく、復興後に開催された初めての「神戸ルミナリエ」にわたくし共夫婦を招待し、ご夫妻で歓待してくれました。
かねてより、彼とはなんとなく気が合い、定期的に大阪駅で会って、昼食を取りながらいろいろ話すことが多くなりました。大阪駅中のホテル、近辺の百貨店のレストラン、時には心斎橋まで足を延ばして、しゃれた喫茶店でコーヒーを飲みながらいろいろ話したことが懐かしい思い出となっています。これはコロナ禍の前まで続きましたが、最近になってぼちぼち会いましょうかとお尋ねしたところ、体調がお悪いということをお聞きしておりした。
また彼は、長期にわたり兵庫県警の公安委員会で活躍され、公安委員長として会務全てにわたって綿密に準備し、確実に実行されました。公安委員会では、彼の活躍に感謝してその模様をDVDに収録しました。このようなことは、兵庫県警の公安委員会では初めての出来事ということでした。このDVDは、十二支会の集まりで一同に披露され、同級生皆が驚くと同時に目を見張りました。
彼は、この経験とともにそれまでの人生を振り返って、「餘情残心」と題した小冊子を作成し、わたくしにも送ってくれました。この中には、硬軟織り混ぜた多方面の情報を丹念に集め、どのページをめくってもハッとするような言葉、そしてユーモアあふれる表現が満載でした。わたくしも只々感心して読ませていただきました。
思い出すといろいろなことが頭に浮かびますが、今はただわれわれに沢山の思い出を残して人生を閉じられた橋本猛伸君のご冥福を心からお祈り申しあげます。
合掌
(川本達雄 記)