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クラス会(大11~20回)

【大20 二斗会】淺原重利君の訃報に接して

 淺原重利君の訃報に接して、あの元気印の淺原さんが何故こんなに早く亡くなるなんて、びっくりでした。昨年6月9日日曜日12時神戸クラウンプラザホテルでは二斗会を仕切って頂いたばかりでした。その5日後が77歳の喜寿の誕生日で神戸のジャズバーにて、夕方の3時間、盛大に開催されました。狭い会場ながら30人以上の友人、知人が集まり、プロの演奏者も参加しておりました。写真はそのときのものです。

 

 

 

9月に黄疸が出て、精密検査で胆管癌ステージ4、余命3ヶ月の診断。今年3月9日家族、友人に見守られ息を引き取られました。Aクラス、大下組、軽音楽部(小野さん、足立さん、鶴崎さんがバンド仲間)JC理事長、RC会長、播磨町文化財保護審議会会長などを歴任され、同窓会は常務理事でした。

 中学2年生時に自宅近くで弥生時代末期の蛸壺の土器を発見、後に国の史跡となる、大中遺跡の発見となった。現在は竪穴式住居の復元が立ち並ぶ国立史跡公園、隣接する県立考古学博物館の建設誘致に尽力した。高校時代に一人目の奥様(多歌代〕と出会い、共に発掘調査にいそしむ。

 淺原君は父から地元のために歯科医師になれと命を受け、名門加古川東高校から大阪歯科大学へ、弟の昌三先生も歯科大学26回卒です。卒後は開業とJCと考古学と音楽とクルーザーと播磨歯科医師会と兵庫県歯科医師会の活動と人生を謳歌する。毎年の大中遺跡祭りでは実行委員長を務める。子供も3人に恵まれ、二人は歯科医師に。自身も福岡歯科大学で博士号取得。53歳の時に多歌代さんを脳内出血で亡くし、3年後に33歳年下のまり子さんを迎えて4人目の子供を授かる。この子が可愛すぎてヘビースモーカーから一気に禁煙、海の男から山の男(ゴルフ)へと趣味も徐々に転換していく。新妻のまり子さんは三宮で趣味のスナック「SUNNY」を開業、小生も近くですので頻繁に利用させていただきました。しかしながら2021年にまり子さんを子宮癌で亡くす。

 次女の寛子さまは53回卒ですが父の生涯を端的に表して「面倒見が良い」「地元愛が強い」「情に厚い」「人望が厚い」「愛されキャラ」「人が真似できない人生を歩む」「人生に2度愛妻を亡くす希有な人生」「地元の英雄」「波乱万丈」ご冥福をお祈りいたします。 合掌

(早川文彦 記)