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クラス会(大11~20回)

【大20 二斗会】ナイスガイ増田君を偲んで

 9月2日に、関根君から電話があり、『君と仲良しだった。増田君が亡くなったよ。昔、彼の家によく泊まりに行ったから連絡した』と言われびっくりしました。あんなに元気でスーパーマンのような彼が……と、最初は信じられませんでした。


故 増田昌彦君(前列右端)


 思い起こせば昭和41年2月の大学入試の休憩時間に人懐っこい目をした増田くんが『試験できたか?難しいな』と話しかけてきて、『僕も全然ダメやった』と答えたのが最初の出会いでした。

  入学後、彼はC組ラグビー部。私はA組剣道部と別れて、あまり付き合いはありませんでした。卒後、私より早く開業した彼の東三国の診療所によく見学に行きました。いつも患者さんがいっぱいで絶好調で、ゴルフにお酒にとよく遊びました。明るくさっぱりして面倒見が良かった彼には、色々とお世話になりました。

 私の人生で一番彼に感謝していることを話したいと思います。私の妻が原因不明の病気になった時、かかりつけの病院の主治医の誤診によりアナフィラキシーショックを起こしました。主治医から『誤診しました。申し訳ありません。私の手に余るので、他で見てもらってくださいと』言われました。増田君に相談したところ、家内の叔父が阪大医学部の教授だから聞いてみると言って紹介してくれました。見ていただいたところ、40分で『原因が分かりました。これは治ります。大丈夫です。えらい目に会いましたね。』と慰めていただき、妻は一命を取り止めました。君と奥様のおかげと本当に感謝しております。終生忘れません。君がこんなに早くなくなるなんて早すぎます。惜しい。残念です。

 しかし、奥様に伺うと息子さん二人は立派に歯科医師と医師になられ、お孫さんもたくさんできそうですね。羨ましい限りです。実に尊敬できる友であり、私の誇りでありました。増田くん!ゆっくりお休みください。合掌

(髙松恒美 記)