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クラス会(大21~30回)

【大22 甲寅会】笹田萬里子さんを偲んで

 令和6年10月30日にご逝去されました笹田萬 里子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

  萬里子さんとは大学入学時よりC組で出合って から、随分長い間一緒に楽しい日々を送りました。 牧野時代は、休講になればC組女子で石清水八幡宮や八坂神社へと行き、夏休みにはリュックを担いで、信州へ、東北へと旅行をしました。3年生の時には、他のクラスの女子も加わってグァム、サイパンへ楽しい船旅をしました。彼女は、授業中も大 変真面目で、いつも適格に記録されるノートを、私 はよく覗き込んで見せてもらっていました。卒業後は、OMM診療所に勤務され、学位を取得されました。

  結婚後は、御主人、和裕先生と共に地域医療に専念されていました。真面目で勤勉で、負けず嫌いの萬里子さん。歯科医師として、妻として、母として本当に一生懸命生きてこられました。あなたはすべてを完璧にやりとげられましたね。ゴルフも大変上手で、外国でもよくプレーされ、ホールインワンもされたとお聞きしていました。病気がわかっ てからも御主人とゴルフ旅行をされ、「楽しかった わぁ」と言われていました。

  お嬢様は医師として立派に活躍され、2人のお孫さんの成長を楽しみにしておられました。10月5日に開催された、卒業50周年の同窓会に彼女も出席する予定でした。6月に同窓会の誘いの電話 を彼女にかけると、病気の事を詳しく話して下さ り、「10月まで3か月以上あるから、薬が合えば行けると思うから、私ホテル取っとくわ。一緒に泊ろう」と、明るく言ってくれました。常に前向きで、自分の病気に対しても冷静に向き合っておられま した。その時の明るい声に、まさかこんな事になろうとは思ってもいませんでした。

  ゆっくりと萬里子さんと色んなお話をしようと思っていたのに。9月16日にメールで”緊急入院する事になり、3週間は退院出来なくなりました。 同窓会楽しみにしていたんですが、参加出来なくなりごめんなさい残念です”と連絡があり、ホテルのキャンセルまでちゃんと彼女がやってくれました。同窓会の後、10月6日に報告の電話をすると、「行けなくてごめんなさい」と言ってくれました。

  萬里子さん、あんなに同窓会に行きたかったのに……皆に会いたかったのに……本当にこれから は大好きなゴルフを楽しみ、ゆっくりと出来る所だったのに……こんなにも早く親友とのお別れをしなくてはならないなんて、悔しくて、寂しくてた まりません。私の耳の奥で今でも萬里子さん、あな たの声が聞こえています。「行けなくてごめんなさい」と。

 本当に有難うございました。どうか安らかにお眠り下さい。合掌

 (奥野喜美子 記)