
半年間の闘病のすえ小島 潔くんが昨年末に亡くなりました。
彼は在学中バスケットボール部の主将として、素人ばかりのオレらを導いてくれました。そして同じくバスケットボール部だった本保先生と在学中6年間付き合い結婚されました。
彼は札幌出身ですが、奥さまの地元の金沢に移り住み、金沢大学医学部附属病院に勤務、そのあと歯科クリニックを開院し最後まで地域医療に尽くしました。また彼はひょんなことからツエーゲン金沢の立ち上げから深く関わることになり、そのJリーグ加入にも多大なる功績がありました。公私ともに選手たちの面倒を見て、皆に慕われているようでした。
昨年の能登半島地震のあとには、能登復興応援チャリティーマッチ(サッカー)をいち早くプロデュースし、Jリーグのレジェンド達に自分から声を掛け、テレビ報道で見られた方も多いと思いますが、見事に成し遂げました。
酒とカラオケが大好きでよく一緒に行きました金沢の街を歩いていると色んな人から「小島先生!」と声を掛けられます。札幌から北陸の古都に移り住み、この土地にほんまに溶け込んでいるんやなあといつも感心していました。
彼は金沢という街を愛していました。本当に辛かったであろう闘病中も、絶対に病気を治してやるという勇気を見せてもらいました。
残されたご家族に謹んでお悔やみを申し上げます。
サポーターの歓声こだまするスタジアムで、とびきり美味い寿司屋のカウンターで、犀川のほとりの小粋なバーで、また一緒に呑めると思っていました。
ほんま残念です。
(二ノ丸直基 記)