
智友美ちゃん あなたがいなくなってから1年近くたつのに私はその事実をいまだに信じられません。
令和2年に開催されるはずだった卒後30周年の同窓会がコロナ禍で延期され、やっと開催されたのが令和4年8月。 ういう訳か出席するとばかり思っていた彼女の姿が見えません。連絡すると、行きたかったけど闘病中で出席できなかったとのこと。心配する私に「結構厳しい状況だったけど、難しい手術もうまくいって精神的にも落ち着いたからもう大丈夫だよ」と返信がきました。同窓会でのみんなの様子を伝えると「次の同窓会までには動けるようになるよう頑張る」とのこと。次回の同窓会への出席を楽しみにしていました。
その年の暮れには、「検査結果も良く晴れて定期検診の身になった」との手紙をもらい安堵。診療にも復帰し、その後のラインでも元気な様子でした。元気に回復したとばかり思っていたところへ突然の訃報の知らせが来ました。信じられませんでした。
ご主人の畦平君にお話を聞いたところ、仕事にも復帰し調子も良かったそうですが、令和5年10月頃から再び体調が悪くなったそうです。それからが早かった。畦平君もこんなに早いとは思わなかったそうです。
彼女と初めて会ったのはもう40年も前。二人とも香里園に住んでいて、同じく香里園に住んでいた留真(三浦)の下宿へ行った時に紹介されたのが初めてだったと思います。その後、彼女とは波長があったのか本当に長い付き合いになりました。
智友美ちゃんと言えば、親しい人はみんな知っていますがとても器用で、カービングや矯正実習のベンディングなどそれはそれはすばらしかった。本科になってからの実習では本当に助けてもらいました。彼女の下宿にはトリーマーやらいろんな機械や器具があり、夜遅くに押しかけてはお世話になる日々。とにかく実習に関しては私だけではなく多くの人がお世話になっていました。
ピアノも上手でご実家の居間には立派なグランドピアノがあってびっくりしたのを覚えています。あのピアノは岡山に嫁ぐときに持って行ったのだけど大きくて大変だったと言っていました。
成績も優秀で卒業後は小児歯科の大学院へと進みます。私も小児歯科で研修することになり引き続き多くの時間を一緒に過ごすことになりました。お互い一人暮らしだったので夕ご飯もよく一緒に行き、診療のこと、他愛もないこと、本当にたくさんのことを話しました。お酒が入るとちょっとへらへらして舌足らずな口調になっていつもと違う彼女を見ることができました。
結婚したのも同じ年でした。私の方が先で、マーメイドラインのウェディングドレスが着たかったのですが気に入る物がなくて断念。数か月後、彼女の結婚式に出席するとなんとマーメイドラインのウエディングドレスを着てばっちり決めた彼女が登場。悔しいやら羨ましいやら。
思い返すと本当に楽しかった。
出会って40年 思い出をいっぱいありがとう。
たくさん助けてくれてありがとう。
仲良くしてくれてありがとう。感謝しかありません。
どうぞ安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。
(河原麻美 記)