コンテンツへスキップ

クラス会(大11~20回)

【大15 いちご会】平井将嗣君の想い出

平井将嗣君ご逝去(令和6年5月7日)  

心からご冥福をお祈りいたします。

 昨年5月末奥様からご逝去のお電話を頂きました。「主人が亡くなって初めて存在の大きさに気付きました」と、淡々と述べられたことに、悲しみの深さと寂しさがうかがえた。

 君との最後の通話は2月で、腰が痛く動き辛いこと。ご子息お二人は医科、歯科と隣同士で開業され立派に自立されていること。医師に嫁がれたお嬢さんのお子さんは見事に医学部に入学されたこと。働きざかりの頃には地元福井県武生市の歯科医師会長に推され、医師会と共に地域住民の保健衛生水準の向上に尽くしたことなどを語り、後顧の憂いは全くないとご満悦であった。

 趣味の旅行はエジプト・中国と共にし、ゴルフ、特にアユ釣り、骨董品には目がなく、診療所やご自宅にはいくつもお気に入りの書画や壺が飾ってあった。旧友の岡田勝治、岡本新、鈴木淑夫、藤髙洋一、渡辺勝君らと紹介を受けた越前河野海岸の民宿は、魚貝類や蟹の本場で大好評。何度もお世話になったものだ。宿で君のアユ釣りの極意や、骨董品の鑑別についての講釈は実に造詣が深く、しかも雄弁であり、皆がうなずき合ったものだった。

 歯科は安定した職業と、親の勧めで入学した私に疑問が膨らんだ。「歯科医師適正はあるのか、我が人生はどうなっていくのか」と。君に打ち明けると「将来社会の役割の一端を担おうとする若者の武者震いだよ」と、まだ坊主頭だった私にとっては“神の声”。何となく感慨を覚えて「大人に一歩近付く通過点なのだ」と納得。その後二度と迷うことはなくなった。君は「哲学する人」だと、眩しく感じたことを今でも忘れられない貴重な想い出である。

  ご仏前にお参りさせていただいたのは、昨年10月のいちご会親睦会を終えてからのことであった。合掌。