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クラス会(大31〜40回)

【大37 平成会】東野 敏之君を偲んで

 本年1月2日、我が家の30年来のルーティンで、家内の実家で朝から箱根駅伝、午後よりはラグビー大学選手権準決勝のテレビ観戦と、1年のうちで一番穏やかな日のはずだった。お屠蘇代わりの昼ビールも入って炬燵でウトウト。そこに突然知らない番号から携帯電話に着信あり。出ると「東野真之です。父が亡くなりました」と。「えっつ?!」と叫んで、隣室で実家メンバーと話していた家内を呼び「ヒガシノが死んだ!」と発した後、二人で号泣した。

 ヒガシノとの出会いは、筆者が先に入部していたラグビー部にぽっちゃり体形の彼が入って来た時。高校時代は運動系部員でなく、1年間の浪人後の入部で、春シーズンの練習はけっこうきつかったのではないかな。そんなヒガシノが、夏合宿前の強化練習が始まる直前、電話してきた。「歯科大ラグビー部に入ってよかった!女の子にモテモテや。彼女が出来た、高校2年生の子や」との弾んだ声を40年以上経った今も鮮明に覚えている(当時は早稲田出身の本城和彦氏や同志社の平尾誠二氏が女性誌にも掲載されるほどの人気で、ちょっとしたラグビーブームだった)。

 ラグビー部での6年間には怪我も多く、試合でバリバリ活躍するタイプではなかったが、理論派で、場の雰囲気を盛り上げた。また、先輩には可愛がられ、後輩には慕われた。そしてOBになってからは長男がラグビー部に入ったこともあり、現役学生たちの面倒もよくみてくれた。

 とにかく優しい奴だった。優しくて、話題が豊富で、話し上手で聞き上手。そのためか女性によくモテた。羨ましいぐらいにモテた。いろいろあったが(中略1)、彼が選んだ、イヤ彼のことを選んだのは、高校2年生だった“都ちゃん”。彼女は歯科衛生士となり、仕事の面でも彼を手伝うことになる。「都が歯科衛生士学校の入試面接で、『歯科大生と付き合っている』って言いよったんや」と照れ臭そうに話す彼の顔が思い返される。

 いろいろあったが(中略2)、二人は結婚し、1男1女が生まれた。開業して診療所は大繁盛、よく勉強もしていた。順風満帆、ずっとそうであってほしかった…。

 10年ちょっと前、大学創立100周年の式典に出席するかどうか尋ねるため、ヒガシノの携帯に電話した。何度か電話しても返信もなく、嫌な気がして弟の修治くん(大42、ラグビー部OB)に電話したら「兄貴は倒れて入院中です」とのこと。クモ膜下出血で、後で聞くと一時は最悪のことも考えたという。よくないことは重なるもので奥さんも大病を患い、よい治療法、名医を探して、各地の病院を巡っていたらしい。しかし懸命な治療も実らず、都さんは50を待たずに逝かれた。少し落ち着いた頃、彼女の闘病生活のことをBARで聞き、二人で涙した。

 その後もいろいろあったらしいが(中略3)、息子・娘の二人ともが母校を卒業し、歯科医師となった。長男の真之くん(大66、ラグビー部OB)は外で修行中で、近々に実家の診療所に戻る予定をしていたとのこと。また長女の梨子さん(大70)はオヤジさんの診療所を手伝っていた。そんな矢先の出来事である。まだまだ若い息子たち、娘を残して、さぞかし心残りのまま逝ってしまったのだろう。“太く短い人生”とは、まさに彼のことだろうか。

 それにしても早過ぎる、また突然すぎるよ、ヒガシノ!直ぐに、とは言わないけど、そのうちそっちに行くよ。仲の良かった同級生や、ラグビー部の先輩後輩もボチボチとメンバーが揃うだろう。そしたらまた皆で、ワイワイと楽しくやろうや。スクラムも組もう。それまで、しばしのお別れです。合掌。

(内藤雅文 記)