
「ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
これは長砂君のLINEのプロフィールの背景に貼り付けてあった辞世の句です。
令和7年2月3日 長砂君が帰らぬ人となった。彼とは大学1、2回生の頃はクラスが別だった為ほとんど話した事が無かったように思います。3回生になり彼とは京阪の野江駅でよく出会うようになり話すようになりました。お互いのアパートがすぐ近くだったのです。
彼はいつも大学の講義を最前列で受講していました。最後列で受講していた私は彼の後ろ姿を見て見かけによらず真面目な奴やと思いました。彼は成績は学年でもトップクラスやったように思います。そして卒業後彼は補綴第二講座に残り学位を取得し非常勤講師も務めました。学生からも人気があったと聞いています。私は卒業2年後に故郷に戻り開院しましたので彼とは頻繁には会うことは出来ませんでしたが、私が大阪に出向く際には必ずと言っていいほど約束をしてミナミで一杯やりました。お互いお酒が好きで何回乾杯したか分かりません。
彼はいつもお洒落でアパレルにも詳しかったので色々と教えてもらいました。夜なのにお互いサングラスをかけてミナミを徘徊していた頃が懐かしいです。大学の同窓会に出席する際には必ず1時間ほど前に待ち合わせて二人で一杯やってから出席しました。彼は同級生からも人気者で後輩からも慕われていたように思います。
今年のお正月、彼は入院先のベッドに居たのでLINEで箱根駅伝の中継をしました。あれからもう半年たつのか……
もう少し時間があると思った。
もっと乾杯したかった。
もっとたくさん語り合いたかった。
もっとカラオケではもりたかった。
せめて還暦を一緒に祝いたかった。
あまりにも早すぎるお別れ。旅立って行く彼はお気に入りのド派手なジージャンを着てシュプリームのニット帽をかぶり最期までお洒落でした。彼とお別れをしてから彼とお揃いのジージャンを探して購入しました。
「長砂ちゃん、いつかまたあの世でお揃いのジージャン着て乾杯しような」 合掌
(坂根 昇 記)